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東京高等裁判所 昭和53年(う)2741号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入する。

理由

〈前略〉

控訴趣意第一の第一点 事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人は、本件犯行の前夜である昭和五三年三月二五日午後八時ころ、第四インターのリーダーから、はじめて本件犯行の具体的な内容を聞かされ、その内容が、それまでに想像していた行動内容とあまりにもかけ離れたものであることを知つたが、右リーダーから説明を受けた際の状況は、犯行についての謀議といい得るようなものではなく、一方的な指示命令であり、被告人において、賛否を選択できる余地のないものであつたため、被告人は、いや応なく、没主体的に従わされたというものであるから、正犯として謀議に加わつたというよりは、幇助者として助力を求められた者であるに過ぎず、また、犯行の態様、結果からみても、被告人は、原判示のマンホールから出て管制塔入口から入つたものの、僅か五分位で逮捕され、いかなる対象にも損害を与えていないのであるから、共同正犯ではなく、幇助犯と認定すべきものであるのに、被告人を共謀共同正犯と認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の違法があるというものである。

そこで、審案するに、原判決が挙示する関係各証拠によると、原判決が、その理由中の(弁護人の主張に対する判断)の二の項で、被告人を本件の共同正犯と認定した理由を説示している点は、すべて正当として是認することができる。すなわち、

(一)  被告人は、昭和五一年一〇月ころから共産主義者同盟戦旗派に加わり、同派の活動方針に従つて、昭和五二年一月以降、新東京国際空港建設反対斗争に参加していたが、同派等の過激派及び三里塚芝山連合空港反対同盟が、昭和五三年三月三〇日の右空港開港日を目標にして、同月二六日から翌四月二日にかけて、「開港式粉砕、年度内開港実力阻止現地大斗争」と銘打つた斗争を構え、三月二六日には、現地三里塚第一公園において、「新東京国際空港開港阻止集会」を予定していたため、この集会に参加するため、同月二五日午後三時ころ、千葉県山武郡芝山町横堀所在の戦旗派団結小屋に赴いたこと

(二)  被告人は、同日午後六時ころ、前記戦旗派の指揮者から、水野隆将、山下和生とともに呼び出され、右団結小屋の六畳間で、右指揮者から、「開港実力阻止を行うが、君達は戦旗の部隊とは別の特別の任務で別行動をとつてくれ。第四インター、プロ青同と一緒に行動してくれ。今夜八時ころ、横堀の農家に集つてくれ。そこまで現斗の車で送る。靴は運動靴でなくてキヤラバンシユーズがいいだろう。着替えと用意してある食糧、ヘルメツトを持つて行け」と指示され、直ちにこれを了承したものの、右特別な任務の具体的内容を聞かされなかつたところから、被告人としては、戦旗派の部隊とは別に、いわゆるゲリラとなつて、空港のゲートや警備の機動隊員に火炎びんを投げつけるなどして何とか空港内に突入しようとするのではないか、と予想しながら、同日午後七時三〇分ころ、前記の水野、山下とともに、各自着替えや食糧品、懐中電灯などを入れたリユツクサツクを持ち、火炎びん四本を積み込んだ自動車で、指示された農家に到着し、同所で、被告人及び他の一名が右の火炎びんを二本づゝ各自のリユツクに入れて、第四インターやプロ青同の到着を待つていたこと

(三)  右の指示にいう特別な任務とは、第四インター、プロ青同及び戦旗のいわゆる過激派三派が共同して計画した本件一連の犯行であるところ、第四インターでは、同日午後六時ころ、同派の朝倉団結小屋の通称女部屋に、藤田雄幸、中路秀夫、高倉克也等十数名を集めて、同人等に対し、まず同派の指揮者が、新東京国際空港及び周辺の航空写真や、排水溝内部の図面等を示しながら、「本月二六日から四月二日までの成田空港開港阻止斗争には三つあり、明日それを決行する。一つは、大勢の者が横堀要塞から空港第八ゲートを突破して空港内に攻め込むものであり、二つ目は、トラツク部隊による攻撃で、高速道路から第九ゲートを突破して空港に向け進撃する斗いであり、三つ目は、最も重要な斗いで、下水溝を使つて管制塔に突入し、これを占拠し破壊する。これを君等にやつて貰う。この三つの斗いは、一斉に決行する予定であるが、君等の任務は重大だから、やりたくない者がいたら、やめてもよい。逮捕は覚悟しろ。」と、本件一連の犯行計画を打ち明け、次いで、前田道彦が、自ら右管制塔襲撃グループの指揮をとる旨告げたうえ、「今回の管制塔襲撃では、戦旗派、プロ青同派の者等と行動を共にし、まず今晩排水溝に潜入して一晩同所で過ごした後、翌日排水溝から出て、管制塔に向けて進撃し、途中、警察機動隊に阻止されたときには、一部の者が火炎びん、鉄パイプで応戦して、他の者の管制塔突入を援護すること、管制塔に侵入した後は、エレベーターで一六階の管制室に上り、同室の機器類を破壊するなどして、開港を阻止すること、及び、そのための道具として、鉄パイプ、ハンマー、バール、ガスカツターを用意してある。」などと、管制塔襲撃計画の具体的な実行方法について説明し、その場に居合わせた全員の賛成を得て、共謀を遂げたうえ、前田道彦以下十数名を、管制塔突入グループ、警察機動隊の阻止行動に対し、応戦して突入グループを援護しながら、これに続いて突入を図るグループ、及び、あくまでも警察機動隊の阻止行動を排除し、その抵抗がない場合に、はじめて突入するグループの三つにわける部隊編成を行ない、その後同日午後八時ころ、右の者全員が、あらかじめ用意された火炎びん約二〇本を分散して納めたナツプザツクを背負つたほか、バール三本、鉄パイプ約一〇本、ハンマー二本及びガスカツター等を分担して携帯したうえ、右前田の指揮にしたがい、同小屋よりマイクロバスに乗車して、前記横堀の農家に赴いたものであること、他方、プロ青同派では、三月二五日午後五時ごろ、横堀所在の同派団結小屋において、同派の指揮者から、原勲ほか三名に対し、「特別な任務があるんだが、やつてくれるか。特別任務は午後七時に行つて貰う場所で指示する」旨、話があり、直ちに同人等がこれを引き受け、午後七時ころ、右四名の者が、各自、あらかじめ用意された火炎びん各一本、懐中電灯、食糧品等在中のリユツクサツクを持つたうえ、鉄パイプ一本づつを携行して、同所を出発し、徒歩で、前記農家に赴いたこと

(四)  右のように、横堀の農家には、まず、被告人を含む戦旗派が、次いで、プロ青同、最後に第四インターが到着して、総数約二〇名となつたが、同日午後八時ころ、第四インターの指揮者前田道彦が、戦旗派及びプロ青同の七名を集めて、空港の各種施設の配置を記載した図面を示しながら、「明日、全員で空港内に突入し、管制塔を占拠し、機械を破壊して開港を阻止する。今夜は下水道に入つて一泊し、次の日に空港内に突入する。管制塔近くのマンホールから出るが、このマンホールはやつと人が出られるような小さな穴である。マンホールから出てからは、走つて管制塔に行く。その際、警察官等に阻止されたら、火炎びんなどで攻撃して突破し、管制塔に行く。管制室は一六階にあるが、全員エレベーターで上り、管制室の機器類を破壊し、開港を阻止する。」などと指示したので、被告人としては、はじめて、犯行の具体的な内容、方法を知つたのであるが、直ちに、右犯行計画を了承し、その場にいた他の全員と共同して、右犯行を実行しようと決意し、既に共謀を遂げていた第四インター所属の者は勿論、他の戦旗派及びプロ青同の者も右犯行計画に賛成し、犯行を共にすることを決意して、こゝに、本件犯行の共謀を遂げたこと

(五)  被告人を含む約二〇名は、右謀議に基づき、右農家を徒歩で出発し、同日午後一一時三〇分ころ、同空港敷地内に通ずる排水溝の突起溝に到着し、ここから排水溝内に順次潜入しはじめたところ、機動隊員が近づいたため、約五名が逃走したり逮捕されて、結局、被告人を含む一五名が排水溝内に潜入するとともに、火炎びん約二九本、鉄パイプ一四本、バール三本、ハンマー二本、ガスカツター一式、無線機一台などを持ち込んだこと

(六)  右一五名の者は、排水溝内で一夜を明かしたのち、同月二六日午後一時一〇分ころ、マンホールから空港敷地内に忍び出たうえ、原判示第一、第二の一乃至三の各犯行に及んだもので、被告人自身も、原判示第一の兇器準備集合、第二の一の建造物侵入、第二の二の公務執行妨害、傷害及び火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反の各罪の実行行為をしたのみならず、その後になされた原判示第二の三の管理棟一四階及び一六階における管制機器の破壊等に参加できなかつたのは、たまたま一階で逮捕されたためであること

以上の事実が認められ、これらの事実によれば、被告人が、原判示全部の事実につき、共同正犯の罪責を負うべきものであることは明らかであるということができる。

論旨は採用できない。

控訴趣意第一の第二点 事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判示第三の三の事実のうち、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律違反の事実について、右行為は、被告人の共犯者によつてなされたものであるが、これによつて航空機の航行に具体的な危険を生じさせておらず、かつ、被告人において、右危険発生の認識もなかつたのであるから、同法違反の罪は成立しない、というものである。

そこで、審案するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判決が、その理由中の(弁護人の主張に対する判断)の一の項で、詳細に説示するところは、すべて正当として是認することができる。なお、若干ふえんして説明を加えることにする。

一航空の危険を生じさせた点について

原判決が挙示する関係各証拠によると、

(一) 被告人を含む一五名の者は、昭和五三年三月二六日午後一時一〇分ころ、成田市大字古込字込前一二三番地に設置された排水溝集水口から新東京国際空港敷地の地上に忍び出たうえ、火炎びん、鉄パイプ、バール、ハンマーなどを携えて、同日午後一時一五分ころ、同空港管理棟内に乱入し、同棟一階で逮捕された被告人等五名を除く一〇名の共犯者が、エレベーター、あるいは階段を利用して、同棟一六階の管制室を目指して進み、途中、一四階のマイクロ通信室に侵入して、同所に設置されたマイクロ波送受信装置等を鉄パイプなどで叩き、あるいは、火炎びんを投げつけ炎上させて、これらを破壊したのち、一六階の管制室に通ずる階段途中の電子ロツク式鉄製扉を鉄パイプなどで叩いたり、付近に火炎びんを投げつけ炎上させるなどして、同管制室内で航空交通管制業務に従事していた航空管制官木島勝弥等四名を極度に畏怖させ、ついには、同人等をして天井の脱出用のハツチから屋上に退避することを余儀なくさせたほか、同室北西部外壁の二枚重ねのガラスを破つて同室内に乱入し、同所に設置されて作動していた飛行場管制卓等各種の管制機器類を所携のハンマー、鉄パイプ、バールで乱打するなどして破壊したものであること

(二) ところで、右空港は、昭和五二年一一月二六日、運輸大臣による検査合格の判定を受けて、飛行場として完成し、昭和五三年三月三〇日に開港する旨を国の内外に向けて宣言されたこと

(三) 他方、運輸省は、昭和五二年一二月二〇日、前記管理棟内に、運輸省東京航空局新東京空港事務所を設置して、その前身である同省新東京国際空港準備室が、昭和四七年一一月一日から行つてきた国際対空通信業務、国際航空固定通信業務及び山田航空路監視レーダーの情報を東京航空交通管制部(東京ACC)に中継送信する業務をそのまゝ引継ぐとともに、昭和五二年一二月一九日付運輸省告示第六五五号をもつて指定された同空港の航空交通管制圏(いわゆる成田管制圏で、その範囲は、同空港の標点を中心とする半径九キロメートルのほぼ円型地域の上空九〇〇メートル以下とされている。)の飛行場管制業務をも開始したこと

(四) 右空港事務所の行う業務のうち、国際対空通信業務とは、国際航空路を航行する航空機の安全と円滑な航行を維持するため、右事務所保安部所属の航空管制通信官が、東京飛行情報区(わが国の加入している国際民間航空条約に基づき、国際民間航空機関において定められた、北緯二七度・東経一六五度、北緯四三度・東経一六五度、北緯五一度・東経一五八度、北緯四五度四五分・東経一四〇度、北緯三八度・東経一三三度、北緯三〇度・東経一二五度二五分、北緯二一度・東経一三七度等の各点を順次結んだ線内のわが国が航空交通業務を担当する空域)内の遠隔洋上を航行中の航空機と短波無線電話で交信を行う業務であつて、その内容の主なものとしては、(1)、「事故発生通報」と呼ばれ、航空機からの事故、故障等の報告があつたとき、直ちにこれを東京航空交通管制部の航空管制官等に連絡するもの、(2)、「管制通報」と呼ばれ、航行中の大型ジエツト旅客機等の高度、速度、航路等の変更に関し、当該航空機の操縦士等と東京航空交通管制部の航空管制官との無線電話の中継をするもの、(3)、「位置通報」と呼ばれ、航行中の大型ジエツト旅客機等から、同機が定められた地点(位置通報地点)を通過する際の緯度、経度、高度、時刻、残燃料、外気温、風向、風速等及び次の位置通報地点とその通過予定時刻等の報告を受け、これを東京航空交通管制部の航空管制官に連絡するもの、などのほか、気象に関する情報を提供する業務などがあること

(五) また、新東京空港事務所が、昭和五二年一二月一九日付運輸省告示第六五六号をもつて、同月二〇日以降毎日午前九時から午後五時まで行うこととされた飛行場管制業務とは、同事務所管制部所属の航空管制官が、成田管制圏に飛来し、あるいは同空港及びその周辺に離着陸する有視界飛行の航空機に対し、超短波無線により、入出圏の許可、飛行方向、高度、離着陸の順序、時期、方法等の指示、風向、風速等の情報の提供を行うものであること

(六) 新東京空港事務所では

(1) 前記管理棟一四階の外側に、山田航空路監視レーダー局に向けて一基、茨城県の筑波中継所に向けて一基のパラボラアンテナを設置し、これから各導波管を同階のマイクロ通信室内に導き、同所に設置したマイクロ波送受信装置に各接続して作動させ、マイクロ波を利用して各種の通信業務を行つていたところ、前記国際対空通信については、東京飛行情報区を、北緯三七度線で南北に二分し、北半分をNP(北太平洋地区)、南半分をCWP(南太平洋地区)と呼称し、それぞれの区域内を航行する航空機との通信に用いるため、管理棟六階の航空管制通信室内に、NP卓、CWP卓をそれぞれ設置し、各卓に配置された航空管制官が、同棟一四階に設けられた筑波向けマイクロ波中継装置を利用して、前記内容の国際対空通信業務を行い、本件当日も、午後一時からNP卓では航空管制官中山傑が、CWP卓では同馬上憲一がそれぞれ右通信業務を担当していたが、被告人の共犯者等による前記犯行により、筑波向けマイクロ波中継装置中、マイクロ波送信装置、導波管一式、パラボラアンテナ一式が破損されたため、同日午後一時二三分から、東京飛行情報区内を航行する航空機との通信が不可能となつたこと、このため、中山航空管制通信官等は、急拠、予備の送受信装置(通称成田ローカル)を用いたが、これは、出力が従前の五分の一で、しかも一度に一周波しか発信できず(NP卓では五周波、CWP卓では六周波の割当てを受けて、その時における最も効率の良い周波数を即座に選び出せるようになつていた。)、かつ、相手方航空機の周波数に合わせるための切り替えに約七秒間を要して遅延を生じたことに加えて、東京航空交通管制部との専用無線電話の使用も不可能となつたため、ダイヤルを回す有線電話の使用を余儀なくされて、同管制部との連絡にも手間どるようになつたこと、及び、本件当時、太平洋上の東京飛行情報区域内を約三〇機の航空機が飛行中であつたこと

(2) 管理棟一六階の管一制室において、前記事務所管制部所属の航空管制官が前記の飛行場管制業務を担当し、本件当日も、航空管制官木島勝弥等四名が右管制室内の飛行場管制卓(ローカルコントロール卓)、地上卓(グランドコントロール卓)調整卓及び統括卓(監視卓)に着いて管制業務に従事していたが、同日午後一時三〇分ころ、被告人の共犯者による前記(一)の犯行により、身の危険を感じた右木島等四名が管理棟屋上に脱出することを余儀なくされ、その後管制室内に乱入した共犯者によつて管制機器を破壊されたため、飛行場管制業務は完全に不能となつたこと、及び、本件当時には、同空港の警備活動に従事していた警視庁、千葉県警察本部や報道機関使用のヘリコプター約四機が、現に右管制業務に服していたこと

以上の事実を認めることができる。

ところで、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律一条にいう「航空の危険を生じさせた」とは、航空機の衝突、墜落などの事故発生の可能性のある状態を生ぜしめることを意味し、現実に、右の事故発生を要するものでないことは勿論、事故発生の必然性、蓋然性も必要としないと解すべきであるから、本罪の故意の内容も、右の事故を惹起するおそれのあることを認識すれば足りると解すべきものである。

そして、前記(六)の(1)で認定した事実によれば、筑波向けマイクロ波送受信装置の機能喪失により、東京情報区域内を航行する航空機との交信が不能もしくは著しく困難となつたことが明らかであるところ、前記の如く、多数の航空機が東京飛行情報区域内の洋上を、音速に近い高速度で航行している場合、航行の安全と秩序を維持し、航行に基因する各種障害の防止を図るためには、地上の航空交通管制担当者と迅速かつ的確に連絡することが絶対的に必要不可欠であるから、被告人の共犯者による本件犯行の結果、国際対空通信業務が不能もしくは著しく困難になつたことは、ひいて東京飛行情報区域内を航行中の航空機が衝突、墜落などの事故発生を惹起する可能性のある状態になつたものということができる。

また、前記(六)の(2)で認定した事実によれば、被告人の共犯者による犯行によつて、管制室で管制業務に従事していた管制官四各が全具屋上に脱出を余儀なくされたうえ、管制機器類が破壊された結果、飛行場管制業務が完全に不能となつたことが明らかであるところ、飛行場管制は、多数の航空機が発着する飛行場及びその周辺における航空交通に秩序を与え、航空機の航行の安全と事故の発生を防止するために必要欠くべからざるものであるから、右のように、飛行場管制機能が全く失われ、航空機が航空管制官の指示等を受けられず、もつぱら操縦士自身の視界と判断で離着陸や飛行を行わざるを得なくなつたことは、これら航空機の衝突墜落等の事故発生の可能性のある状態を生じさせたものというべきである。

二故意について

原判決挙示の関係各証拠によると、

(一) 被告人は、さきに共謀の点について判断した経過で本件犯行に参加したものであるが、犯行の具体的内容の説明を受けた際、管制塔に突入し、管制機器類を破壊して開港を阻止しようとする本件犯行が、これと同時に敢行することを予定していた他の二つの作戦よりも、最も重要なものである旨を聞かされ、これを承知して犯行に参加したものであること

(二) 新東京国際空港は、既に判示したとおり、飛行場として完成しており、昭和五二年一二月二〇日には、新東京空港事務所によつて、国際対空通信業務等(同業務等は、既に右事務所の前身である新東京空港準備室で実施していたものを引き継いだもの)や飛行場管制業務も開始され、また、同空港及びその上空では、同年八月七日、一〇日(合計九回)と同年一二月二一日(合計六回)に騒音テスト飛行が、同年一二月二二日以降翌年の二月二二日までの日曜祭日を除く毎日、機長路線資格取得飛行(いわゆる慣熟飛行)が、それぞれ航空管制官の管制を受けて実施されていて、これらのことは、当時の新聞、テレビ等で報道されていたこと、及び、本件犯行が同空港の開港日間近かに行うものであつたことから、特に大学工学部電気工学科を中退し、いわゆる成田斗争に真剣に取り組み、同空港の動向に多大の関心を抱いてきた被告人としては、いわゆる管制塔には、航空管制官等が配置され、各種の通信装置や管制機器類を作動して、現に航行中の航空機との通信連絡等を行つていたことを承知していたこと、そして、被告人自身、この点を認めた被告人の検察官に対する昭和五三年四月一二日付供述調書の記載内容は、当時の被告人の心情を吐露したものとして優に措信できるものであること

以上の事実を認めることができ、これに反する被告人の原審公判廷における供述は、他の関係証拠に照らして措信できない。

右事実によれば、被告人は、本件犯行の手段、目的がいわゆる管制塔に突入し、管制機器類を破壊して飛行場としての機能を失わしめ、もつて前記空港の開港を阻止しようとするものであることを理解したうえ、本件当時、同空港の管制塔(正確には管理棟)には、航空管制官等の係官が配置に就き、各種の航空管制業務を行つていることを承知していたものであるから、被告人等の本件犯行により、右航空管制官等の業務が不能もしくは著しく困難となれば、同空港を利用し、あるいは利用しようとする航空機が、航行の安全にとつて不可欠な管制を受けられないことになり、衝突、墜落等の事故発生の可能性のある状態におかれることになるとの認識を有していたと認めることができる。

なお、被告人が管理棟内に存在するマイクロ波送受信装置や管制機器類の個々について、具体的な知識をもつていなかつたという点は、右認定を左右するものではない。

したがつて、原判決には、所論がいうような事実誤認の違法はないということができる。

論旨は、いずれも採用できない。

控訴趣意第二 量刑不当の主張について

所論は、要するに、被告人を懲役三年六月に処した原判決の量刑は不当に重く、刑の執行を猶予されたい、というものである。

そこで、審案するに、本件は、被告人を含む一五名の者が、新東京国際空港のいわゆる管制塔に突入し、管制機器類を破壊して同空港の開港を実力で阻止しようと企て、昭和五三年三月三〇日の開港を目前に控えた同月二五日夜から同空港の敷地内に通ずる排水溝内にひそみ、(一)、同月二六日午後一時一〇分ころから同日午後一時一五分ころまでの間、成田市大字古込前一二三番地集水口付近から同字一三三番地所在同空港管理棟表玄関に至る路上及び同玄関ロビー内において、警戒、警備、違法行為者の検挙等の任務に従事する警察官等の生命、身体ならびに右管理棟及び同棟内の設備、機器類の財産に対し、共同して危害を加える目的で、多数の火炎びん、鉄パイプ、バール、ハンマーを準備して集合し(原判示第一の事実)、(二)、右一五名全員が共謀して、(1)、前記目的で、同日午後一時一〇分ころ、右集水口から空港敷地内に忍び入つたうえ、右管理棟に全員一丸となつて侵入し(原判示第二の一の事実)、(2)、同日午後一時一〇分ころから同日午後一時一五分ころまでの間、右集水口付近路上から右管理棟玄関に至るまでの路上及び同玄関ロビー内において、前記任務に従事して被告人等を逮捕しようとした警察官十数名に対し、火炎びんを投げつけて炎上させる暴行を加えて、右警察官等の生命身体に危険を生じさせるとともに、同警察官等の職務の執行を妨害し、その際警察官椎名政和に、加療約一四日間を要する口唇、両手、膝部火傷の傷害を負わせ(原判示第二の二の事実)、(3)、右一五名のうち一〇名の者が、右管理棟のエレベーターあるいは階段を利用して階上に上り、同日午後一時二〇分ころから同日午後三時三〇分ころまでの間、(ⅰ)、同管理棟一四階北西側ベランダ及びマイクロ通信室において、同所に備え付けられた筑波向け及び山田向けマイクロ波中継装置を、こもごも所携の鉄パイプ、ハンマーなどで叩き、火炎びんを投げつけ炎上させるなどして、これらを損壊し、同管理棟六階で国際対空通信業務を行つていた航空管制通信官中山傑等をして右装置の使用を不能ならしめて、機能の劣る代替通信機器に頼らざるを得なくさせ、もつて、右航空通信官と東京飛行情報区内の空域を航行する航空機との通信を著しく困難にし、(ⅱ)、さらに、同管理棟一六階管制室に通ずる扉を破壊すべく、これを鉄パイプ等で叩き、あるいは、同所付近に火炎びんを投げつけ炎上させるなどして、同管制室内で、飛行場管制業務を行つていた航空管制官木島勝弥等をして屋上に退避することを余儀なくさせたうえ、ハンマーで同室北西部外壁のガラスを破り、同所から六名の者が室内に入り、飛行場管制業務に使用していた各種管制機器を、こもごも鉄パイプ、ハンマー、バールで乱打して破壊し、もつて右航空管制官と成田管制圏を航行する航空機との通信連絡を不能にし(原判示第二の三の事実)た、という事案であるところ、本件犯行は、第四インター、プロ青同及び被告人の所属する戦旗派のいわゆる過激派三派により、成田空港開港反対斗争のうちでも最も重要な実力阻止斗争として、事前に綿密な調査のもとに計画された極めて大胆な犯行であつて、その手段、態様も、右の如く、空港の中枢ともいうべき管理棟の通信及び管制機器類を手当り次第に破壊してその機能を喪失もしくは著しく困難にして、ほぼ被告人等の犯行目的を遂げたものであつて、甚だ悪質であるというべきことのほか、犯行による被害は、直接的には、前記警察官一名が負傷したうえ、建物、管制通信の機器類が復旧見込額の合計八四〇〇万円余りの物的損害を与えたものであるが、本件犯行が、国内一般に与えた衝撃は甚大なものであつたばかりか、本件犯行の結果、予定された開港が大幅に遅れたことにより、わが国の国際的信用が著しく失われるに至つたことも、重大な損害であるということができ、これら有形無形の被害からみても、本件犯行の結果は重大であるといわなければならないこと、及び、被告人は、管理棟一階で逮捕され、その後、他の共犯者によつて行われた一四階、一六階の破壊行為をしなかつたとはいうものの、一階で逮捕された被告人及び四名の者が、被告人等を制止検挙するためかけつけた警察官に対し、火炎びんを投げつけ炎上させるなどの攻撃(特に被告人自身も火炎びんを投げつけ炎上させた結果、これにより警察官一名が負傷した。)をしている間に、他の共犯者一〇名が階上に上つて犯行に及んだものであるから、被告人等五名の一階における犯行が、結局、他の一〇名の犯行を援護し、遂行させたものであること、などにかんがみると、被告人自身の刑責は、まことに重大であるといわなければならないのである。なお他方、被告人が若年で、格別の前科もないほか、反省の態度を示して、戦旗派を離脱し、将来の生活を設計したいと述べていることなど、被告人に有利な事情をしん酌したうえ、被告人を懲役三年六月に処した原判決の量刑は首肯し得ないものではない。

しかしながら、被告人は、自派の責任者から特別任務を指示されて、これを承諾した際には、本件犯行の具体的な説明がなく、前記農家に赴いて、はじめてその内容を聞かされたものであること、右の如く、他の共犯者の犯行を支援する結果になつたとはいえ、本件犯行中の最終目標であつた管制機器類の破壊行為自体に加わらなかつたことや、原審がしん酌した前記の有利な事情に加えるに、当審における事実取調べの結果によつても、被告人の戦旗派からの離脱の意思と更生の意慾は、なお強固なものであることが認められるうえ、逮捕勾留されて以来、現在に至るまで、保釈請求も差し控えて、未決監における反省の毎日を送つていることなどの有利な事情を併せ考えると、既に述べてきたような事案の重大性にかんがみ、実刑は免れ得ないとしても、刑期の点において、原判決の量刑はやや重きに過ぎ、被告人に酷であるといわなければならないのである。

論旨は右の限度で理由がある。

よつて、刑訴法三九七条、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により自判する。

原判決が認定した事実に対し、原判決がしたのと同一の罰条を適用し、科刑上一罪、刑種の選択、併合罪の処理についても原判決がしたのと同じものを適用し、その刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、なお同法二一条により原審における未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(藤野英一 門馬良夫 小田健司)

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